大西ユカリ
EXPLOSION
初回限定盤 | TECE-3381 | ¥3,259(税抜価格 ¥2,963) | アルバムCD+DVD |
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通常盤 | TECE-3382 | 定価:¥3,056(税抜価格 ¥2,778) | アルバムCD |
すっごいクリエイターたちが参加した奇跡のアルバム!!
ナニワが誇るソウルシンガー "大西ユカリ" コンチネンタル・スター移籍アルバム!
先行シングル「大阪に雨が降れば / ユカリ☆EXPLOSION」もALBUM MIXで収録。
CD(初回限定盤・通常盤 共通)
夜桜銀子
with 憂歌兄弟+Lyn
ユカリ☆EXPLOSION(ALBUM MIX)
大阪レイニイナイトⅡ
スナックゆかり
with 怒髪天
花の生き方
with NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS
くず、ようほかさん
大阪に雨が降れば(ALBUM MIX)
SUKATAN
with NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS
ハルカロジ
秋桜(MONO MIX)
DVD(初回限定盤のみ)
大阪に雨が降れば ミュージックビデオ
MUSIC VIDEO
LINER NOTES
「『EXPLOSION』制作の経緯噺」 噺、て(笑)。アレは3年前…。 ―――大西ユカリ
2009年に「大西ユカリと新世界」の活動休止、以降ソロ活動に入り、15年までに6作を制作した。6作目の『肉と肉と路線バス』の制作に入った13年頃。「ユカリちゃん、アルバム創ろうや!」という声。
"新世界" 時代からバンド志向が強く、制作~録音、LIVEのほとんどをセルフプロデュースしてきた我々は、いや我々というより私は、「聞く耳」も持たず、ただただ突っ走る青春やったような気がする。戻るとしたら、その頃に戻って「練習」がしたい。ソロになってやってきたのは「唄が減る作業」やったかも知れぬ。そんな時分を最もよく知る人物が「ユカリちゃん、アルバム創ろうや!」と言った、中西プロデューサーだった。
折も折、通天閣歌謡劇場からの撤退を余儀なくされた頃、契約に沿っているとはいえ、殺生な話やけど仕事も激減。月例LIVEだけをやり続けた。バンド・スタッフ・音響さんのスケジュールも年間で押さえてた。新世界のデイサービスでバイトしながら音楽続けてたら、FM大阪のDJの話が来た。お年寄りの皆さんに後ろ髪を惹かれ乍らもそのまま新世界に住み続け、私は50歳になっていた。
その記念に30年来、憧れ尊敬する旧知の横山剣氏に楽曲を依頼したのが3年前。本アルバムの制作の始まりでした。楽曲の依頼はプロデューサー(以降P)の「ひらめき」。音楽制作って、あんまり根(こん)詰めたらアカンかもなあ。いや、アカンことはないんやけど。なんか呑んだ時の「思いつき」とかそんなんが大事。「あの人に大西の曲書いてもうたらどないなるんやろう?」というPの「思いつき」がスゴかった。詞も曲もテーマも何もない。あるのは「<大西ユカリ>に書いてください」だけやった。
浜圭介先生には私はお会いしてない。遠すぎて、凄すぎて。Pから「曲書いてもうたで」言われても信じひんかった。「夜桜銀子」。手書きの譜面は上等の厚紙(金張り表紙)、御自身が歌唱されているデモはカセットやったらしい。それを大阪のバンドでアレンジして投げ返すまで半年、なかなかOKがもらえない。アレンジが「歌謡過ぎ」た。「この娘はブルースだ」との指摘で、憂歌兄弟との一発録りに。これが一発OK。木村充揮氏、内田勘太郎氏、新井田耕造氏。そこにBeat BoxのLynちゃんを起用。最強のおっちゃん3人でもスゴいのに、女の子のBeat Boxが入ることで母性が挟まった。女性の吐息みたいのを大きくしてもらったら超かっこ良くなった。歌唱は必死のパッチで、録音当日は朝からのイベント出演~スタジオ入りで、前日まで休みが取れないというピンクレディくらい過酷な日々で身体フラフラやのに、なぜか歌えた。正真正銘の無修正。もうあの歌唱は無理やな、と今思う。この曲の録音からスタートした本作品。
そしてPはその後も「思い付き」まくるのだった。
内田勘太郎氏からは「大阪レイニイナイトⅡ」が上がってきた。大阪の道路名も出てくるこの楽曲には景色も艶もあって雨も降ってた。この曲の風情を読んだエンジニアの加門ちゃんが、マイクを変えてくれた。よう鳴るなあ。Pがコーラスを佐々木久美さんに頼んでた。大阪から東京のPに電話したら「今録音やってんで、ちょっと聞く?」とそのまま受話器(受話器て)から久美さんのコーラスが聞こえてくる。ゾクゾクした。上がったのを聞いたらゴスペルの人をアメリカから呼んだみたいになってた。
泣きそうになったのが甲本ヒロト氏の「ハルカロジ」、漢字で書いたら「遥か路地」。甲本さんの天才の具合がそこにある。御本人のデモ歌唱がスゴ過ぎて、えらいこっちゃ。あまり楽曲提供をしない、で有名な甲本さんやから、「もし断られたらどないしょう?」とPに尋ねると、「オレが好きな人にしか書いてもらわないし、キミは余計なことを考えんとしっかり歌いなさい」。やはり甲本さんにも何も注文せんかったらしい。しかし、どんな角度からでも解釈したくなる楽曲を戴いてしまった!
もず唱平先生との打合わせは、今くるよ師匠も御同席くださった。そんな席でもPは何も決めず、話す、呑む、食べる、呑む、吸う、話す、の繰り返し。で、『スカタン』というキーワードが出てきた(くるよ師匠もおるしなあ)。やがて、もず先生から詞が届く。Pが閃く。「伸ちゃん(三宅伸治氏)に曲付けてもらうど」。伸ちゃんて、ワタシにとっては兄さんやがな。だいぶ先輩やのに、心安いなあ、もう。でもスゴい人ほど心安いのだ。まさかの三宅伸治 & もず唱平。伸ちゃんいわく「ユカリちゃん想って書いたよ」。Pがキーを高いとこいっぱいいっぱいに設定。これも酷いスケジュールやった。ラジオ~LIVE~ラジオから東京での録音で、イベントでっせ。でも、この極限こそが、エエのん残す秘訣かも知れん(んなアホな)。
荒木とよひさセンセとは京都菊水で初対面させていただく。すでにPはセンセと兄弟のような感じになっていた。南座の前の名店で呑む冷コは未だに忘れられぬ。健康な日焼けした肌に白い歯、半ズボンに上等のポロシャツ(第2ボタン迄開き→これ重要、全開ではないのだ)が普通なら相当チャラいのに、なんでこない上品なんやろ?思う。御自身もバンドやったはって、現役感満開のナイスガイ。そらモテるでセンセ。と心の中で思いながら話をした。その「花の生き方」にも、まさかの三宅伸治登場。
「スカタン」もそうやったけど、先ず大阪のスタジオで伸ちゃんと一緒に「弾く & 歌う」。これを元に、ホーンアレンジ。リズム隊は録音当日の初見と簡単なコード譜だけ(恐るべし)。この演奏は「ナイスミドル & ニューブルーデイホーンズ」で、故忌野清志郎氏の最後のバンドは今回の録音が初めてらしく、これまた光栄過ぎる!嬉しくてシャウトしまくり、ガッタガッタ歌う私に「ガッタは要らん」とPがバッサリ。これが歌手とPならではのバトル…。
宇崎竜童氏には、09年に直談判に伺っていた。04年の『七曲入』で「真夜中に聴いた歌」という楽曲を阿木燿子氏と共に書いて頂いたので話は早い。「何曲要るの?」「アルバム全曲分です」「ヘッ?そうなの!?」。当時「歌謡曲が鳴ってんだよね~」と言うてくれて、頂いたすべての曲に仮題を付けて管理していた。この宇崎さんの楽曲にめくるめく歌詞を付けたのが怒髪天・増子氏による「スナックゆかり」。ステージも御一緒できた怒髪天は"突き抜け感"が尋常ではない。私は老後、スナックを開業するのも悪くないなあ、とこの曲で思ったよ。アカン奴からボッたくったろか(うそうそ)いやいや・・・この曲から見える勧善懲悪感たるや、自分の将来までも気づかせて貰える「バカバカしい愛おしさ」で、これも一発録り無修正。宇崎さん、こないなりましたで~と送ったのが、ついこないだです。
その宇崎さんの奥さまである「阿木燿子」に超敬意でペンネームも芸名も "aCKy" と名乗る天才に、私はどうしても詞を書いて頂きたく懇願していたら叶った。そして閃きPでトキメキPが☆キッラ~ンと思いつかはったのが、近藤房之助氏への作曲依頼。総てを包み込むようなお二人の参加にガッタガッタでそら緊張したけど、嬉しかった。とにかく嬉しかった。ここで一句「シャウトして振り切るメーター声割れる」。aCKyと近藤房之助の組み合わせって、誰も思いつけへん。P恐るべし!上がってきた曲は、私のキーを分析してくださって「だいたいこんな感じかなあと思ってさ」。房さん、スゴい。だいたいは御自身の気持ちエエとこで書いて歌って~やけど、房さんの豊かなハミングで難し過ぎてえらいこっちゃ~と思って曲をaCKyに投げたらアラまあ。これまたそのまんまの歌詞を載せて下さった「くず、ようほかさん」。スゴい、っていうか、助かりまくった。そして演奏は?ここでSWING-O氏の登場。スクリーミン・ジェイ・ホーキンスが鳴ったそうで、そら話は合うに決まってるわね。ホーン隊は「カルメラホーンズ」で大阪バンドのホーン隊の弟分な感じ、なのに、音はオッサン。味のある事してくれたはります。
宮藤官九郎さんとは木村充揮氏や伸ちゃんの御縁もあり、そして何よりPの閃きで作詞を依頼。宮藤さんは「横山剣さんが曲つけてくださったら嬉しい」とワクワクするような逆依頼。P燃える。横山さんに依頼する。OK!! あらまあ~!! ドキドキしてたら、「ユカリ☆EXPLOSION」。大爆発なのね!曲中の「ヘイタクシー」の永ちゃん風ドナリや、爆発効果音「バーン」も横山さんにいただいて、コーラスを三宅伸治氏 & 中村耕一氏に。サックスは普段テナーでLIVEで参加してくれてる泉くんにバリトンをお願い。「テナーとバリトン、どっちも聞きたいな~」P、またまた恐るべし。パーカッションも東京で録音。初見で入れてくださった梅津和時氏のクラリネットが格好いい。継ぎ足したタレみたいに、老舗と新奇が合いまみれるのだ。旨いに決まってる。
「大阪に雨が降れば」は、歌を何回も何回も歌い直させてもらった。ツラくて、切なくて、怒って、励まして、背中で笑ってる、強くてカッコ可愛い女性が自分の歌唱の中に出てくるのも(感じ方には個人差アリマス)歌手冥利に尽きる。本作の中で何もかもを、一番やり直した曲かもしれない。バンドアレンジの頃から数えたら、本当に長らくの間、取り組んだ。荒木とよひさ氏 & 羽場仁志氏によるデモの時点で、Pは「これシングル」と思ったそう。大西新境地みなぎるアレンジは寺岡呼人氏。何度もやり取りがあってアレンジが決まったら演奏、演奏が決まったら再アレンジ。曲中のエレキシタールは本物で、内田勘太郎氏が沖縄から寺岡さんに送って、それを演奏してくれたはる。それ聞いただけでワ~ッってなる。ホーンアレンジの方々も名前聞いただけで「ウソやん」言うくらいのメンツです。どっかモダンで、懐かしい、なのに揺れたくなるようなメロウな、これぞ「ソウル歌謡」。
最後のPの凄まじい思いつきは東京・三軒茶屋の夜。「アルバム全9曲でエエかあ」とみーんなで呑んでた時、Pが「秋桜、が鳴ってる」「こんで全10曲や!」と。軽く思いついたように記したが、歌ってみたらアラ不思議。何かに裏打ちされた発案やったのかも知れぬ。やっぱり恐るべしP。後日、大阪スタジオで内田勘太郎さんとデュオ。何曲か御一緒して頂いての「信頼」みたいのがあって、寄り添う「秋桜」が咲いたのだった。精一杯の親孝行は、LIVEでしっかりこの子を育てる事やなあ、と思うのです。
河内家菊水丸師匠にアルバム聞いて頂いたところ、「ほんま、大西っさんもシブといでんなあ…」と、最高級の賛辞を戴いた。
52歳、夏。皆々様に感謝申し上げます。ありがとう。