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PRODUCT INFORMATION
- 母に生命を返す時
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- 2011-12-14/TECE-3059/定価:¥2,619(税抜価格 ¥2,381)/アルバムCD
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実母の在宅介護を通じて生まれた楽曲の数々の中から、ライブ・講演を通じてリクエストの多い楽曲を選曲しアルバムにしました。
タイトルの「母に生命を返すとき」は、濱野裕生の活動の初期から、ライブ・講演で謳われていたもの。
親があってこその自分の生命であるから、親が老いて助けが必要なときに子である自分が、尽くせる行動で無制限に支えることがすなわち「生命を返す」という言葉に置き換えられています。 -
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母のクーデター
濱野裕生が自宅に母を引き取った頃の作品。突然の母の行動にとまどう様子と、母と彼をつなぐ腰のベルト…ここからすべて始まる。
■この頃の母の介護度・2(2005年7月) -
ひととき
「嗚呼、こんなにのどかで穏やかなのに こんな暮らしがずっと続けばいいのに」日常の他愛のない場面描写が、もう一方の辛い日常を想起させる。妻さえ許せば…とこれからの覚悟に近いものを語った象徴的な作品。
■この頃の母の介護度・3(2005年12月) -
花ミズキ
老いを重ねる母と一緒に植えた花ミズキ、母との暮らしをずっと一緒に見続けている。ずいぶん育ったけれどそれだけではない、母が日増しに小さくなっていく、過ぎ行く季節の中で…
■この頃の母の介護度・3(2006年4月) -
ふるさとへ帰ろう
老いを見つめ生命を見つめ続け、この時期になると濱野自身が介護に関する社会的テーマを、自分のスタンスで外に向けて語りかけ、発信し始めている。押し付けではなく、自分も経験して初めてわかったと言っている。
■この頃の母の介護度・3(2006年8月) -
風よ光よ・・
この作品は、自分の運命を受け容れ、無償の優しさに昇華させることで、こんなにも慈しみに満ちた心持になれることを教えてくれる。
■この頃の母の介護度・3(2006年10月) -
秋:夕暮れ
何気ない秋の夕暮れのワンシーンを綴った作品。時に母が母に戻る瞬間がなおさら普段どおりであることに幸せを感じ、それが永遠でないことを知っているから、より哀しい…
■この頃の母の介護度・3(2006年11月) -
春は・まだ
新しい季節、とりわけ春の到来はまたひとつ季節を重ね、新たな一年が始まる期待を持たせてくれる。そして変わりなく生命が続いていくことを同時に願ってもいる。
■この頃の母の介護度・3(2007年2月) -
施設にて
要介護度4に進んだ母。しばしば記憶も曇り、我に返れば自分を嘆く母。どうすることも出来ず、目を伏せる濱野。着実に時間は過ぎていく、そして「時の流れを、私は憎む」と歌う。
■この頃の母の介護度・4(2008年2月) -
母の童歌
昔語りをするかつての母の言葉を紡いで数え歌のような作品に仕上げた。昔に返りたいと母が歌の中で言っているが、濱野自身の痛切な気持ちでもある。
■この頃の母の介護度・4(2008年5月) -
露草
濱野裕生は本当によく泣く。自分の暮らしを語って泣き、歌を歌って泣き、母のことを語って泣く。朝の露草を泣いている自分に置き換え、耐え続ける強さを教えて欲しいと歌っている。
■この頃の母の介護度・4(2009年8月) -
綿雪
要介護度は最高レベルの5に。冬よ、ゆっくり時間をかけて語りかけておくれ、そんなに急いではまた次の春がやって来てしまう。時間よもっとゆっくり流れておくれ、せっかく綿雪が落ちてきているのに…
■この頃の母の介護度・5(2010年2月) -
八年目の蝉しぐれ
蝉は短い生命を知っているからこそこんなに盛んに鳴くのだろうか。八年前の蝉しぐれと今の蝉しぐれとを比べれば「何故か悲しく響く…」、母はただ老いを急ぐだけ…
■この頃の母の介護度・5(2010年9月)
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母のクーデター
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