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菅原都々子

菅原都々子
ジャケット写真
菅原都々子ゴールデンソングス
2016-05-18/TECE-3374/定価:¥2,037(税抜価格 ¥1,852)/アルバムCD
昭和歌謡のレジェンド、鉄板の一枚!
大ヒット曲、名曲、後世に残したい歌がここにある。 初商品化「三本木小唄」収録!!
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まだまだ元気です!菅原都々子(2013-09-27更新)
−その1. 故郷・十和田の観光大使に!
デビューから76年!の菅原都々子、現在は、表舞台からは引退しましたが、地域の福祉ボランティアで施設などで歌っており張りのある歌声は健在です。
2013年9月14日、出身地である青森県十和田市の秋祭りに招かれ、十和田市長より十和田奥入瀬観光大使に任命されると同時に感謝状も授与されました。
これは、57年前に吹き込んだ十和田のご当地ソング「三本木小唄」を今年復元、再レコーディングしCD化したことがきっかけ。式典ではそのお披露目も行い、今までバラバラだった踊りも一本化され舞踊関係者によって同時に披露。
その後、小雨にも関わらず秋祭りに訪れた大勢の市民に囲まれながら、市中を人力車に乗ってパレードし、大歓声!新たに甦った「三本木小唄」を200名近い人々が踊る姿は圧巻でした!
(「三本木小唄」は一般発売はされていません)
−その2. 「月がとっても青いから」歌碑完成!
さらに、国民的流行歌「月がとっても青いから」の2基目の歌碑の除幕式が行われました!(1基目は、菅原が在住する神奈川県相模原市民会館前にあります)
2013年9月23日、晴天に恵まれた、青森県十和田市の官庁街にある"駒っこ広場"に歌碑は建立され、関係者やファンが多数見守る中お披露目。
万感の想いがこみ上げたのか「こんなに大事にされて・・・私は幸せものです(涙)」と感激の菅原にもらい泣きする方も多数。
高さ1.15横幅1.18、満月をかたどった黒御影に歌詞が彫られており、作曲した菅原の父の陸奥明氏の名前もしっかりと刻まれています。また下部には菅原が第一回紅白歌合戦のトップバッターだったというエピソードも添えられています。
歌碑建立には地元十和田の商工会議所の石川正憲会頭を筆頭に、地元有志の方々の尽力があってこそ実現したもの。菅原も「動いてくだすった方たちに足を向けて寝られませんね」と感謝の気持ちを語っていました。
実は7年前から十和田では「月がとっても青いから」というカラオケ大会が開催されています。
「菅原先生は十和田の誇り、私たちに何かできないだろうか」と、地元有志が立ち上げて始まった大会も今年で7回目。
「先生が元気なうちにもっと十和田からご恩返しがしたい!」という有志の熱意のもと、十和田商工会議所石川会頭が商工会議所65周年記念事業の一環として、"月がとっても青いから"の歌碑を建立しよう!と動いてくださいました。
十和田奥入瀬観光大使もつとめる菅原、「これからもっと十和田にご恩返しをしたい」と感激の涙はとまりませんでした。

浅草公会堂前の"スターの手型"に菅原都々子が仲間入り!(2013-03-27更新)
大勢の観光客で賑う浅草の観光スポットの一つである浅草公会堂前の"スターの手型"、この平成24年度顕彰者にテイチクの大ベテラン菅原都々子が選ばれ、この度お披露目がされました!
これは大衆芸能のメッカである浅草に、大衆芸能の振興に貢献した芸能人の功績をたたえ、その業績を後世に伝えるために昭和54年から設置されてきたものです。
今年の顕彰者を含めて総勢296名ものスターの手形で賑う公会堂前ですが、さすがに手形でいっぱいになり、今回は前にある花壇に設置されています。
手形を目の前にして菅原は、「とてもありがたいことです。ちょっと照れくさいですね」と語っていました。
皆様もぜひ浅草へいらしたときは、ご覧ください!

永遠の名曲「月がとっても青いから」歌碑に!
菅原都々子の戦後昭和の大ヒット曲「月がとっても青いから」の歌碑が、相模原市市民会館前の広場わきに建立されました。

テイチクレコードの創業当初から活躍し、歌謡界に多大なる功績を残した歌手・菅原都々子が、昨年(2006年)いっぱいで歌手としての現役活動を終えました。
この度は、本人から皆様へ感謝のメッセージをご紹介させていただきます。

皆様、お健やかにお過ごしでいらっしゃいますか。菅原都々子でございます。
私はお蔭様で歌手生活70周年を迎えることが出来ました。
これも日頃から温かく見守って、ご声援を贈って下さった皆様に支えられての事と心から感謝致しております。また、健康にも恵まれ本当に有難い事と思っております。

振り返ってみれば、様々なことがございましが、幸せな70年を過ごさせて頂いたなーと感無量でございます。

ただ、昔は今ほど交通事情が良くありませんでしたので、移動するのに時間がかかり、体力的にきつかったのが少し辛ろうございました。それでもステージの幕が開き、お客様の都々ちゃーんと云う声援をお聞きすると勇気百倍で歌えました。

今でも懐かしく思い出されるのは、江の島エレジーがヒットし始めた頃に酒屋さんの店先のラジオから流れる自分の歌声に、思わず何度も何度も店先を行ったり来たりして聴いた事が今でも忘れられません。

その後に「連絡船の歌」や父の作曲してくれました「月がとっても青いから」等のヒット曲にも恵まれて幸せな歌手人生を歩かせて頂きました。

昨年、12月10日、新橋ヤクルトホールでの「70周年記念ファイナルコンサート」では満席のお客様に励まされ、無事に歌い終わることが出来ました。一応現役は卒業して、これからは、今まで私を支えて下さった皆様方へのご恩返しの気持ちで福祉施設等で歌のボランティアをさせて頂きたい、と考えております。

昨年発売致しました、70周年記念曲『花のエレジー』『夜の波止場』この曲は私の亡弟、陸奥高志の作品でございます。これからも大事に大事に歌い続けて参ります。 どうぞよろしくお願いいたします。

菅原都々子

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