本名:美濃部孝蔵
生年月日:明治23年6月28日
出生:東京

 本名:美濃部孝蔵。明治二十三年六月二十八日、東京で生まれる。

 少年のころから飲む・打つ・買うの三道楽にひたり、家を飛び出して放蕩の末、明治四十三年ごろ、二代目三遊亭小圓朝の門に入って朝太と名乗る。大正六年圓菊と改名して二つ目に昇進した。

 まもなく六代目金原亭馬生門下に移って馬太朗と改め、以後武生、馬きん、しん馬、講談に転じて小金井芦風、またしん馬に戻り、馬きん、馬生(古今亭)と、次々に改名したが、さっぱり芽が出ない。初代柳家三語楼門下に移って東三楼、ぎん馬、甚語楼、隅田川馬石、甚語楼、しん馬と改名を続けたが、売れない日が続く。

 昭和九年に七代目金原亭馬生を襲名してから、ようやく日があたってきた。十四年五代目古今亭志ん生を襲名してからは人気上昇。ニ十年に満州へ行き、二十二年帰国してからは、桂文楽とともに落語会の第一人者として活躍した。

 二十八年ラジオ東京の専属となり、二十九年ニッポン放送へ移る。三十二年から三十八年まで落語協会の会長を務める。三十六年ニッポン放送を離れてフリーになったが、その年の暮れに脳溢血で倒れた。

 一年で高座に復帰したが、往年の元気はなく、四十三年十月の精選落語会が最後の高座となった。四十八年九月二十一日、八十三歳で亡くなった。