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メンバー

パラダイス山元
パラダイス山元
アーーーッ、うっ!のマンボな叫び声でおなじみの熱血マンボ野郎。ザ・フォーク・クルセダーズ、朝丘雪路など数々のアーティスト楽曲、CMなどで叫びまくっている。中でもオレンジレンジ「お願い!セニョリータ」は、2005年オリコン1位を記録。NHKおかあさんといっしょ「たこやきなんぼマンボ」「ピタゴラジョンマーチ」など、近年教育番組での作曲・演奏活動も多い。前職はSUBARUのカーデザイナー。グリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタ、マン盆栽家元、入浴剤ソムリエとしても活躍中。
DJコモエスタ
DJコモエスタ
スタイリスト、美容師、音楽制作事務所勤務の後古物商としてインテリア雑貨店「パノラマ」を代官山にオープン。'90年代初頭にレトロ文化を提唱、イベント、ムック本、そしてコモエスタ八重樫として東京パノラママンボボーイズでメジャーデビュー。解散後、莫大な数の日本のレア音源のコンピCDやDJとしてのリミックス作品を制作。あとは、余生を送るだけと南房総で田舎生活を開始したが、マンボの魅力に負け再び参加。
ゴンザレス鈴木
ゴンザレス鈴木
今や、日本のジャズシーンを代表するプロデューサー。マンボボーイズ解散後に結成した、自身のユニット「ソウルボッサ・トリオ」では10作以上アルバムをリリースし、世界最大級のノースシー・ジャズ祭に招聘されたのをはじめ手嶌葵、畠山美由紀、アン・サリーら逸材を発掘、デビューさせる。05年からは、親子で感動できるプロジェクト "Kids Meet Jazz!" をスタート。また、FM YOKOHAMA(横浜)、Love FM(福岡)でもパーソナリティーを務め、ますますその活動領域は、"増殖"し続けている。

プロフィール

東京パノラママンボボーイズ イメージ

'80年代末、フリフリ袖の衣装を身にまとい、DJ(コモエスタ八重樫)+パーカッション(パラダイス山元、ゴンザレス鈴木)という世界で唯一のパノラマスタイルで活動。芝浦ゴールド、下北沢ZOOなどのクラブで盛り上がりまくる。
のちに作ったビッグバンドでは、一流のプレイヤーをバックに歌謡ショーやヌードダンサーを登場させ、平成時代に消えようとしていた昭和の香りを振りまきちらす。

その完成されたレトロ趣味と過激なパフォーマンスのライブは常に大ウケ状態。争奪戦の末、1991年「マンボ天国」で、禁断のレコード会社(!)「テイチク」からデビュー。踊り踊る踊れの68分13秒の夢のダンスアルバムは全25曲。収録曲「マンボのビート」はフジテレビ「ごきげんよう」のテーマソングとしておなじみとなったが、このアルバムのほかの楽曲も現在においてもTVやラジオで使われている。これは、10数年後も少しも古くならないマンボボーイズの楽曲の完成度の高さ、時代を超えた唯一無比なサウンドという事に他ならない証拠であろう。

1992年リリースされたセカンドアルバム「マンボスパイ2」は、架空のスパイ映画のサントラで、マンボスパイが世界を駆け巡るという設定。同年、「ロンドンクラブサーキットツアー」を実施。事前ブッキング1本という無謀さにも関わらず、話題を呼び、多数のクラブでプレイ。情報誌「タイムアウト」巻頭に写真入りで紹介。また、MTVの取材を受け、「パチンコ」のPVがローテーションに入るなど快挙を遂げる。

1993年 惜しまれつつ解散…………しかし、

2006年何故か、フジロックフェスティバルにて、14年ぶりに復活。若いミュージシャン、オーディエンスの中、ハイテンションなパフォーマンスを披露。

2007年、マンボ親父3人組は、禁断の「マンボ再復活」を果たすべく、本格的な活動を再開!福岡サンセット・ライブをはじめ、出演したイベント、夏フェスでは、老若男女問わず、"マンボ熱" に感染、会場は "総マンボ化" した。

そして、2008年初っ端から、マンボボーイズ活動再開を祝う、究極のマンボな3タイトルをリリース。パフォーマー、プロデューサー、DJと経験も積んで来た3人が再び集合した東京パノラママンボボーイズ。21世紀のマンボな展開に乞うご期待!