ゲルニカ(GUERNICA)[プロフィール]


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PROFILE

ゲルニカ
GUERNICA

ゲルニカ(GUERNICA) -テイチク在籍時(※)-

  • 1981年結成。戸川 純(歌唱)、上野耕路(作曲、編曲、演奏)、太田螢一(作詞、美術)。
  • 1982年「改造への躍動」(アルファレコード)リリース、メジャー・デビュー。その後、一旦活動休止。
  • 1988年「新世紀への運河」リリース。活動再開。(※)
  • 1989年「電離層からの眼指し」リリース。再び活動休止。(※)
  • 2002年「IN MEMORIA FUTURI~ゲルニカ20周年記念完全盤~」リリース。(※)

『ゲルニカ』とは何か?

そもそも『ゲルニカ』とは、ナチスドイツにより爆撃破壊されたスペイン はバスク地方の小都市の名称である。この暴挙に怒りを覚えた同郷の画家パブロ・ピカソはかの傑作『ゲルニカ』を描ききったのである。我々は不遜にもその名前を着服し、我音楽団の名称とした。(「新世紀の運河」ブックレットより。)

『ゲルニカ』の組成

新型鍵盤奏者にして作曲家、戦前アバンギャルドの大衆性を加味した折衷様式とでも言うべき作風を誇る「上野耕路」による作曲・編曲及び演奏、巧みな表現力を見に付けた女優でもあり、輝くばかりの美声の持主、様々な分野で男性芸術家を圧倒する活躍を見せる歌姫「戸川 純」による創唱とも言うべき歌唱、ダンディズムと猟奇趣味を揺く蛇状曲線体の中に描き、又突き離さんばかりの単刀直入な詩体を誇る詩人でもある画家「太田螢一」による歌詩・美術により『ゲルニカ』はなる。(「新世紀の運河」ブックレットより。)

【上野耕路】

1970年代後半のパンク/ニューウェイブ/テクノ・シーン において『少年ホームランズ』、『8 1/2』、『ハルメンズ』等で活動。1981年『ゲルニカ』結成。以後自作品のアルバム、バレエ、舞台、映画、委嘱演奏会用作品、TVコマーシャルなど多岐に渡り活躍。近年はジャズ、クラシックのスタイルを取り入れた『上野耕路アンサンブル』、ロックバンド『捏造と贋作』、また美術館やホールで映像と共に行うコンサード等々での活動や、『たらこ・たらこ・たらこ』の作品で話題となる。
日本大学芸術学部にて映画音楽の講義を受け持つ。89年毎日映画コンクール音楽賞、ナント三大陸映画祭音楽賞受賞。95年第32回プラハ国際テレビ祭チェコ・クリスタル賞受賞。「上野耕路ピアノ作品集」(全音)出版。