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比嘉栄昇


ライナーノーツ

比嘉栄昇 自作を語る

「親父に聴いてほしいうた、作りました」

「とうさんか」――この言葉には、比嘉栄昇の幾重にも連なる想いがこめられている。島で産まれたうたという意味の「島産歌」、送り出したうたが日本全国で花開くことを願っての「島産花」、ふるさとへの思慕の「島讃歌」、世のお父さんたちに聴いてほしい「父さん歌」……。

BEGINっぽさや「オモトタケオ」チックなものを期待していた向きには残念だが、ここにはそれはない。栄昇は、これまで自分が歌い手としてやろうとしてできなかったことやBEGINでやれなかったことに、一つひとつ丁寧に向き合った。このアルバムには、栄昇が「うたとは何だろうか」と考え抜いた現時点での結果が、ひとりの人間、ひとりの男としての、両親、妻、子、友、故郷への想いが、こっくりと凝縮されている。

始まりは、『旅の終わりに聞く歌は』だと栄昇は言う。

「親戚の集まりで酒を飲んで音楽をかけると、僕が田端義夫さんに書かせてもらった『旅の終わりに聞く歌は』や『涙そうそう』はとても受けがいい。あるとき、『旅の終わりに聞く歌は』を聴いていた親父が "おまえもこのうた歌えばいいのに"と言ったことがあった。その場では "俺なんかとても歌えんさあ"と話を濁したんだけど、それ以来、親父が聴きたいのであれば歌ってあげられたらなあと思っていた」

栄昇は以前、「あれは俺なんかが歌えるうたじゃない」と言っていたことがある。

「そう。前に挑戦したけど、歯が立たなかった。だから親父に言われたときにちょっと焦ったんだけど、自分の中ではどんどん音楽のジャンルが関係なくなっていって、いまはもう、うたの想いが自分に合っていて自分が歌いたいと思えば何でも歌えるんだ、と思えるようになったので、やってみるか、と。思えば、最近は若い人向けの音楽は本当にいっぱいあるけど、親父たちの世代の人がゆったりと聴くことのできる音楽があまりない。ここは全曲、親父や親戚のおじさんおばさんたちが喜んで聴けるようなアルバムを作ってみたい、と思うようになった」

かくしてソロアルバムの制作は始まった。

「前からハワイアン・ミュージックが好きだったんだけど、実際にハワイで街並みを見て海辺で聴いたときに、 "ああ、このうたはこういうことを歌っていたんだ"ということがものすごく心に沁みてきた。うたは一度心に沁みこんだら、どこで聴いても同じ想いになれる。だから、日本全国から沖縄に旅行に来てくれる方たちに沖縄でこのうたを聴いてもらえたら、たとえば公設市場で『ティダナダ』を聴いたら、きっとすっと自然に心に入るだろうという気がして。旅先でその土地の特産品を買うように、このアルバムを手に取ってもらえたらいいなと考えた。そんな民芸品のつもりで作ったんです」

だが、この島産品には沖縄らしいメロディーも楽器も、あえて使わないことにした。

「沖縄=三線=島唄というイメージが注目されすぎている。琉球音階や三線というのは、沖縄の空気の中で聴いていたらいいんだけど、旅から帰って日常の中に入れようとすると、どこか違和感が湧いてくるんだよね、個性がすごく強いから」

旅先で気に入って買ったシャツも、普段の生活ではなかなか着られなかったりする。日常に溶け込ませてもらいたいから、沖縄っぽい味付けはしないと決めた。

そして、誰もが懐かしく心和む音楽にしたいと考え、日本人のうたごころを知り尽くしている萩田光雄氏(編曲)と鈴木智雄氏(ミキシング)、ふたりの熟練した音楽職人に手を貸してもらうことにした。

「日本人はマイナーなメロディーが好きだと思う。マイナーコードが運んでくれる世界はすごく日本人の心に合っていて、日本のいろいろな風景を運んでくれる。もしかしたらそういうのを "情緒"と言っていたのかもしれない。萩田さんのアレンジは、そういう日本独特のものを持っているから、僕が作ろうとしている "いまの時代の歌謡曲"という味をうまく表現してもらえると思った」

はたして、先達の熟練のワザに、栄昇は舌を巻いた。

「本当にプロのすごさを見せてもらった。このアルバムのうたたちを僕の生み出した子どもだとしたら、萩田さんと智雄さんのおふたりから服を着せてもらい、地図を持たせてもらい、お小遣いまでもらって、旅支度をととのえてもらったような感じだと思う」

栄昇は、自分の作ったうたを、花にたとえ、民芸品にたとえ、子どもにたとえたかと思うと、こんなふうにも言った。

「日本中に何かストレスみたいなものが充満しているでしょう?だから、このアルバムは風通しのいい音楽で "一服感"を味わってもらおうと思ったりしてさ」

さて、その一服のお味は如何?

煎じるほどにどんどん味わいが深まる摩訶不思議な一服である。


[曲解説]

八重のふるさと

「石垣島では新空港の建設が決まり、島はいま急激に変わっている。僕のふるさと八重山が変わっていく。その変わっていくさまを間近で見て、いままでの八重山にちゃんとお別れを言っておかなきゃいけないな、っていう想いがあった」

東京での仕事の後、車の中でそんなふうに島に想いを馳せていたら、この曲のサビのメロディーと歌詞が一緒に頭の中にぽっと流れてきたという。

<♪さよなら さよなら 八重のふるさと>

栄昇は、浮かんだばかりのメロディーを録音用のレコーダーに吹き込んだ。このゆるやかなサビの部分は、仕事の終わった深夜、東京の街角の自動販売機の前で、通りすがりの人に不審者を見るような顔をされながら、ひっそりと産声を上げたものだった。

大好きな大切なふるさとに、なぜ<さよなら>なのだろうか。

「いま、みんな、さよならをすることを忘れがちだと思う。交通の手段も発達して、離れてもすぐ帰ってくるよと言うことができるから、別れの言葉をきちんと言わなくなってしまったようなところがある。だけど、ふるさとだって家族だって、一度離れるときには、一度<さよなら>なんだと思う。また違うところから始まらなきゃいけない。たとえば、親子の関係は一生変わらないと思っていても、一度親元を離れれば、もう一緒に暮らしている関係ではない。次に会うときは、親も自分も歳を取って、いろんなことが変わっている。だから、きちんと<さよなら>をする気持ちを大事にしたかった。変化することはいいこともいっぱいあるけれど、本当はとても寂しいことだと思う。変わるということは、いまとは違うところに行くことだから。もう後戻りはできない。違う石垣島になる……。だから、いままで当たり前にあった石垣島の風景に対して、いまのうちにみんなで<さよなら>を言おうよ、そんな想い」

<サシバ>は秋になると<新北(ミーニシ)の風>に乗って南下してくる鳥だ。北からの季節風に乗ってやってきた鳥たちが<於茂登山(オモトヤマ)に遊ぶ>さまを、栄昇はいろんな人々が石垣島にやってくる現実になぞらえた。島の景色は変貌して<二度と戻らない>なか、<ツワブキの花>=島の人たちは、さまざまな想いのもとに<揺れ>ている。<八重のふるさと>の<八重>とは、八重山の八重であり、人々の連なる想いでもある。ここに歌われているのは、石垣島のかつての自然であり、石垣島のいまの姿だ。

栄昇の惜別の情の背後には、「どんなに変わっても、そこはつねに僕のふるさと」とこよなくいとおしむ郷土愛がある。「いつの日か、あとは祈りを捧げるしかない、というようになっていくのではないか」と案じる栄昇は、自分にできるのは変わりゆく島を見守り、うたを届けることだけだと言う。

歌詞にこめた想いは、サシバの群れやツワブキの花に伝わるだろうか。


まえの日

「こんなにリアルに、100%ノンフィクションのうたを書いたのは初めて。できれば他人に歌ってもらいたいくらいだった」と栄昇はひたすら恥ずかしがった。

「上の息子が卒園式を迎える前日、朝、台所に行くと、ちょうど弁当を作り終わったところで、 "ああ、弁当も今日で終わりなんだ"と、作ってもいないのに自分で寂しくなったりなんかして」

その脳裏に、幼い手を振り払って帰ってきた日の光景が浮かぶ。

「僕らはそっと校庭に逃げた。都会と違ってこの幼稚園は小学校と一緒にあって、だから園庭じゃなくて<校庭>なんだよね。離島にはそんなのがたくさんある。<桜色の空>というのも、 "さくらなんて、そんな流行りの言葉を使うかあ"と自分で突っ込んでみたりもしたんだけど、いま住んでいる家から見る夕焼け空はほんとにきれいで、<桜色>としか言いようがない。もう、自分の見たまま、体験したままをストレートに書いた」

ただありのままを伝えようとする姿勢は、このアルバム全体に貫かれている。

「人の気持ちをもっとああしようとか、こうしたほうがいいとか、そんなんじゃなくて、そのまんま、うたとして伝えたい。そこから自由にいろんなことを感じてもらえたらいい」

優しく甘やかな「父さん歌」の根っこには、栄昇の深い想いも透けて見える。

<♪誰でもいつかは旅に出るんだ>

<♪出会いと別れは友達だから いつも仲良く半分ずつ>

出会いと別れ、笑顔と涙、楽しさと哀しさ、優しさと厳しさ……人はそれらを対比するもののように思いがちだが、<いつも仲良く半分ずつ>が本当の姿なのかもしれない。


宝石箱
作詞・作曲:さこ大介

栄昇は、ここしばらく、声の洗濯をしていたという。

「自分の歌い方のクセみたいなものが、いい意味でも悪い意味でもついてしまっていて、その中にはもちろんライブとかで培ったものもあるので、思い出として大事にしたいところもあるんだけど、一回全部洗濯して、クセを取り除いて、また一からうたを歌ってみようということをやっていた」

その洗濯された声、けれんみのない歌い方が、このアルバムで披露されている。これまで歌おうとして歌えなかったうたが、時を経ていまならうたえる、そんな経験もした。この曲もその一つ。

「さこ大介さんは、僕らが20代半ばに出会った大先輩のミュージシャンのひとりで、BEGINのアルバムで詞を書いていただいたこともある。この『宝石箱』は、前に "歌ってみないか"と言っていただいたことがあったんだけど、当時はこの歌詞の本当の意味が僕には理解できなくて、結局、歌えずじまいだった」

このことが、栄昇の心の片隅に一つの宿題のように残っていたのだろう。

「ソロアルバム『とうさんか』を作っていくうちに感じたのが、自分で作ったうたばかりだと風通しがよくない、風が流れないという気がして、それを解決するには、自分以外の人の曲を入れることだと。その時点で『青空』を入れることは決めてあって、きれいに風を通すには、やっぱり窓は二つあったほうがいいと思ったとき、ふと大介さんのこの曲を思い出した」

やってみたら、なんの抵抗もなくすっと歌えた。

「前は、このロマンチックな感じがなんだか恥ずかしく感じた。それが今回歌ってみて、ようやく気持ちがわかった。<♪ダイヤモンドか原石なのか>というのが、かつての僕には自分のことだったのが、いまでは歳を重ねて、子どもであったり後輩であったり、誰かをそっと見つめる立場になれたから歌えるようになったんだ」

人の優しさを恥ずかしいと感じる季節を過ぎて、栄昇は果たせなかった約束を一つ果たすことができた。十年以上の年月を必要としたけれど。

「このうたを入れたことで、このアルバムに思いどおり、きれいに風を通せた。きっと、この2曲じゃないとダメだったと思う」


ティダナダ

この曲のタイトルとモチーフは、何年も前から頭の中にあったそうだ。

「『涙そうそう』が広まっていくときに僕の気持ちにあったのは、沖縄のオバアたちは悲しいことやつらいことがあっても泣かないで "いやあ、オバアは元気だよ" と言う。泣いてもいいのに、という想いだった。『涙そうそう』をオバアたちは喜んでくれたけれど、その明るさの中にある哀しみみたいなものがまだ伝えきれないなあ、と感じていた。僕は、沖縄の公設市場にしても平和通りにしても、歩いていると何かとてもせつなくなる。みんな元気に頑張っているんだけど、どこかせつない。それをうたにしたかった。3年くらい前からサビの歌詞とメロディーができていたんだけど、重くて暗いうたになりそうだからBEGINとしては遠慮しておくかという気持ちがあって、胸の中にしまいこんであった」

『涙そうそう』の想いのその先にあるものとして栄昇の心に浮かんだ『ティダナダ』は、沖縄の方言で「太陽の涙」。

「人の想いとか、気持ちのありようというのは、全部さらけ出して、全部をわかりあえるような簡単なものじゃないと思う。哀しいから笑顔を作ることも、寂しいから明るく振る舞うこともある。泣くより哀しいこととか、泣いても届かない想いもある。それは、太陽が涙を流そうとしても全部蒸発して消えてしまうのと似ている気がして……」

やっぱりこれをうたにしよう、という気持ちが再燃したのは、2004年、長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れられたというニュースに接したときだった。長嶋茂雄といえば、日本人にとってのヒーロー、まさに太陽のような存在。その長嶋さんの闘病する姿を「ああ、太陽が泣いている」と感じた栄昇は、あらためて「みんな隠してる涙がある。<太陽の涙>みたいなものは、きっと誰の気持ちの中にもある。それをうたにしよう」という気になった。

栄昇はこのうたに、幾つかの隠れキーワードを散りばめた。たとえば<右目で見渡す>とはビデオやカメラのファインダーを覗いているさまを示している。旅人の<シャツ>、<塩入りのお守り人形>、<竹笛の調べ>、<夏>。沖縄を訪れたなら、そのキーワードの意味するものを探しながら、<ティダナダ>を感じ取ってほしいと願う。


とうさんか

このうたには「島産歌」「島産花」「島讃歌」「父さん歌」、アルバムタイトルでもある『とうさんか』のテーマがぎゅっと詰まっている。

「前々から<島産米>というのをうたにしたいと思っていて、島産米―とうさん―お父さん、そうかあ、自分も父親だから、お父さんとしての気持ちを、家族として聴いてもらえたらいいと思った。これもまた、<♪島で育てたお米の事を>から<♪島で生まれりゃ おとうさん>のところが最初にできた。サビがあっても、それからこのメロディーと歌詞はどんな仲間を呼んでいるのかなと考えるのがまた微妙で難しい。強引に呼ぶんじゃなくて、うまいこと向こうから近寄ってくるような感じにしたいんだよね。つい作為みたいなものが出て "ダメダメ、狙っちゃ" と自分をたしなめたりする。結局は、うたの想いに導かれて仲間が引っ張り出されてくる感じかな」

肩から力を抜いて、眉間の皺も伸ばして、にっこり家族で笑顔になれるようなうたが生まれた。

「僕自身は、子育てしていると思ったことがない。一緒に暮らさせてもらってる感覚なんだよね。子育てっていう言い方は、親が何かしてあげるみたいだけど、子どもといることでこっちが教えてもらうことっていっぱいある。大事なのは、毎日自分のやるべきことをやって、ちゃんと栄養のあるものを一緒に食べて、病気やケガのときにはちゃんと看病や手当てをしてあげられる環境、それさえあれば、子どもはりっぱに成長していくと思う。どうやって子育てすればいいかなんて、悩んだりしなくていいんじゃないのかなあ、と思っていたらこんなうたになった。音楽は哀しいのと明るいのと両方なくちゃ楽しくない。けっして明るいことばかりではないけれど、世の中に文句を言ううたは作りたくなかった」

単に語呂のいい、楽しいうたではない。

<♪日本列島 南西北東 この島に花は咲くんだぜ>

「一番こだわったのはここ。普通にいえば "東西南北" なんだろうけど、僕は南西諸島の人間だから、やっぱり南西を先に持ってきたかった。だからといって、沖縄を、自分のふるさとを自慢したうたを作っているわけじゃない。日本国中どこも島だから、どこにも島産品があって、どこでも島産花は咲くんだ、というメッセージを伝えたかった。このうたそのものも全国で花を咲かせてほしいし。このアルバムの中で、最も力強い1行です」

子どもに愛情、妻に敬服、母に感謝、島に愛着……このお父さんは颯爽としたかっこよさはないけれど、家族の楔のような存在だ。<♪おとうさん ん~。>お父さんの応援歌につけられた二つの小さな丸が、家族の楔のようにも、小さなガッツポーズのようにも思われる。


アララガマまたワイド

<アララガマ>も<ワイド>も宮古島の方言だ。<アララガマ>は「負けてたまるか」という意味、<ワイド>は「がんばろう」の意味で、ともに奮起を促す言葉である。

「うちは両親が宮古島出身なので、家の中の会話は宮古の方言だった。僕自身は生まれも育ちも石垣島なんだけど、小さいころから宮古の方言を聞いていたから、自分の中でのふるさとは石垣島と宮古島と両方みたいな気持ちがあって、それをうたにできないかなあっていうのがあった。これも『ティダナダ』と同じように、何年か前から<♪飲めば酔う 酔えば唄う>のところがタイトルと一緒に浮かんでいたもの。だけど宮古島の方言だからBEGINでやるうたじゃないかな、っていうのがあった。BEGINの曲は、やっぱり三人が想いを共有できるうたでありたいというのが一番にあるから」

「宮古島の人にとって<アララガマ>は大切なお守りみたいな言葉。 "アララガマ魂" があれば、最後の一踏ん張りができる。ダメでも、また挑戦しようという気持ちになれる。親父からそう教えられていて、自分の中にも確実にある、と感じていた」

しかし、実際に栄昇の心象風景に浮かんだのは、やはり石垣島のことになる。

「十八番街という飲み屋街があって、宮古出身のママさんがやってる店があった。それが<七十過ぎの ママ>で、そのママさんもいなくなって店はなくなり、<ドブ川>はコンクリートで固められてしまった。だから、本当の意味での宮古島の土地のうたはまだ作れていないんだけど、自分の中の二つのふるさとへの気持ちをうたにすることはできた」

<♪この島で迷い この島で恥をか>いて、<この島の夢を見る>。このうたを作りながら、自分の帰る場所への想いが深まったという。


旅の終わりに聞く歌は

「田端義夫さんに曲を書かせていただけることになったとき、とても光栄で嬉しいことだったんだけど、田端さんの人生を知れば知るほど、聞けば聞くほど、あまりに深いから、どんなふうに書いていいのか悩んで、全然できなかった。そのとき、僕が田端さんのことを書こうとするのは土台無理だから、田端さんに書くんじゃなくて、自分の最も身近な年長者である親父のうたを書こうと思った。それがこの『旅の終わりに聞く歌は』」

このうたは、紛れもなく栄昇の「父讃歌」である。

「親父は若いころ宮古島から石垣島に渡るんだけど、その話を子どものころからよく聞いていたので、自分で見たことのように身体に染みついてる。だから、それならば書ける。それを田端さんに歌っていただいて、僕はもうこれでこのうたに関しては満足していた」

しかし、父の「おまえも歌えばいいのに」の一言に、栄昇はいつかそれをかなえたいと思うようになる。

「うたが伝えるものって、結局、巧さだとかどれだけ声が出るとかそういうのとは関係ないところにあると思う。親父のことを書いたうただから、うたの想いは自分が誰よりもわかっている。だけど、とてもじゃないが田端さんのうたにはかなわない。人間として積み重ねてきたものが、厚みとか深みが比べものにならない。ただ、親父が聴きたいのなら、まさに恥をかくつもりで歌わせてもらおう、と思った。僕はまだまだ未熟だけど、今回これを歌ってみて、自分はこれからこのうたの主人公に近づいていくんだ、歳と経験を重ねるごとに、どんどんその領域に近づいていけるんだと思ったら、自分の中では未来のうたのような気がした」

比嘉栄昇の『旅の終わりに聞く歌は』は、ここに始まったばかり。これから40代、50代とどんなふうに変貌を遂げていくかがじつに楽しみである。


青空
作曲:大森信和

「栄昇、もし、おまえがこの先ソロアルバムを作ることがあったら、そのときは俺がギター弾く。一緒にやろうな」

かつて、BEGINのアルバムプロデュースをしていた大森信和さん(元甲斐バンド、2004年7月没)がこう言ってくれたことがあった。十年以上の時を経て、ようやくその時が来たのに、大森さんはいない――。しかし、栄昇はその夢をかなえたかった。

2002年に大森さんが出した『Peace & Freedom』というインストゥルメンタル・アルバムの最後に、『Blue sky』と名づけられていたこの小曲は、栄昇によると「全部ロックのアルバムなんだけど、その一番最後に、小さな花みたいにぽっとあった」。

栄昇はこのメロディーの続きを書き、詞をつけて、ふたりの共作として仕上げようと考えた。

「大森さんのプレイを繰り返し聴いて、ギターで音を取りはじめたんだけど、よくわからない。 "大森さん、ここ、どうするの? 俺わからんよ" とか、 "なんでこれ、ワンコーラスで終わったの?" とか、ぶつぶつと話しかけながらやっているうちに、 "つけ足す必要なんかないなあ。これはもうこれで出来上がってるんだ" と気づいて、自分で作ったところを全部なしにして、歌詞だけをのせることにした。それも歌詞をつけるというよりは、大森さんが "俺はいまこんなことを思ってるから、栄昇、うたにして家族に伝えといてくれ" って言っているみたいに思えた。やっている間、いま思うと不思議なくらいに大森さんと一緒に過ごせた感じがあって、すごく楽しかった。ああ、いまも大森さんは近くにいてくれる、と感じられたから」

この曲だけ、明らかに音質が違う。

「今回のアルバムで、他の曲は僕が作ったものを萩田光雄さんにアレンジをしてもらい、スタジオミュージシャンの方たちに入ってもらってレコーディングしたわけだけど、これだけは僕がひとりで大森さんに話しかけながら自宅で録音していたときの音を、そのまま収録させてもらうことにした。最後の<♪幸せ~>のところなんかいまもコードがはっきりわからんままだけど、間違っててもいいからこれでいこうと思った」

初めは原曲の『Blue sky』とこの『青空』を両方収録したいと考えていたが、『Blue sky』はどうしてもこのアルバムに馴染まず、断念することになった。

「大森さんがあのアルバムを作ったときにはそのときの想いがあっただろうし、今回は今回で僕の作ろうとした世界があって、別の方向に向かっているものを一つに無理やりまとめることはできないんだ、と実感した。大森さんがいてくれたら "だったら栄昇、こうしよう" って言って、きっとあっという間にうまくやってくれただろうけど、いまはそれができない。そう思った瞬間に、どうしようもない寂しさがこみ上げてきた」

だが、男の約束はこうして実現した。

ふるさとを持たせて、いま旅立たせるうたたちよ

唱歌にも民謡にも演歌にもふるさとがある。ブルーズのふるさとはアメリカで、サンバのふるさとはブラジルだ。そして、ビートルズのうたのふるさとは、やはりリヴァプールだ。その土地の風土や環境に根ざしたところから、真に心に沁みるうたが生まれ、世の中に広まっていく。だから、自分の送り出すうたにも、しっかりとふるさとを持たせてやりたかったのだと栄昇は言う。

「たとえば、うちの親父が北国の出稼ぎのうたを聴いてじーんとして、それを自分の応援歌みたいに思えるのはなぜか。雪を見たことがなくても、そのうたの想いを共有できるからだと思う。そういった出所のはっきりしたうたを僕は作りたかった。一曲一曲のうたにきちんとふるさとを持たせてやることで、しっかりと根を張れよと送り出してやりたかった。僕は、ジャンルという枠を超えて、2006年といういまの時代の歌謡曲を作りました。この僕のうたたちを、僕の子どもたちを、どうぞいろんな土地で迎えてください、里親になってくださいという気持ち。もともとこのアルバムは、親父に聴いてほしい、親戚のおじさんやおばさんに聴いてほしいというところからスタートしているので、最近の音楽は聴きづらくなったという諸先輩方にこそ、ぜひ耳を傾けてほしいと思います」

沖縄の、とある島の店にしか売っていないTシャツがある。どこにいても遠くのものが簡単に手に入れられる時代だからこそ、逆に、そこでしか手に入らないものと巡り合う喜びがある。そのオリジナルTシャツを着た人に、東京の街の雑踏の中で出会うことがある。思わず、同士を見つけたような気持ちで声をかけたくなる。旅から帰ってきたら袖を通さなくなってしまうものではなく、日々の生活の中で繰り返し着たくなるTシャツの風合い。栄昇が考える「民芸品」とは、このアルバムのうたたちをそんなふうに日用品にしてほしいということだ。

ところで、アルバムではスタジオミュージシャンの手によって歌謡曲テイストで聴かせてくれたこれらの曲、生でうたうときにはどうするのかと、素朴な疑問を向けてみた。

「僕は人見知りだし、やったことのないバンドの人たちと一緒にやることは一切考えていなくて、もしやるんだったら優と等に弾いてもらいたいんだけど……。それはふたりがこれを聴いてなんと言ってくれるか、それ次第かなあ」

ひょっとすると、これらのうたをBEGINサウンドで聴くことができるときもやってくるかもしれない。

加えて、いまBEGINはあまりライブをやっていないから、みんな待ち焦がれているんだけど、と問う。

「ふふふっ、きっと気がついたらいつのまにかやっているよ」

栄昇のリズムは、終始ゆったりとして、寄せては返す波のようだ。その「いつのまにか」は、あくせくと暮らす人間とは少しばかりサイクルが違うだろう。でも、この男の約束に忠実な生きざまは、折り紙付きである。

[文:阿部久美子]


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